クルマのフロントグリルやヘッドライトまわりを『顔』と呼ぶことがある。ヘッドライトを目に例えるなら、最近は目元がアグレッシブ、言い換えればツリ目で怒っているクルマが多いような気がする。ライトの光源に関する技術革新などによって様々なスタイリングが可能になった反面、空気力学を重視したエクステリア・デザインによってボディーと一体化したかのようなヘッドライトが常識となり、それと比例するようになぜか多くのクルマの顔からは優しさ、親しみやすさといったニュアンスが少なくなってしまった感がある。
女性がよく『可愛い』という表現を使うが、現在新車で買える量産車の中で『可愛い』と言われているクルマたちには共通点がある。それは丸いヘッドライト。そもそもクルマに対して『可愛い』という表現をすることに抵抗感を覚える人も多いだろう。しかしこの『可愛い』はまぎれもなく褒め言葉であり、感覚的にも非常に優れた表現だと僕は思っている。
イラストは先日参加した国産旧車イベントのフライヤーの為に描きおろした線画に彩色を施したもの。これら60~70年代のクルマはシールドビームと呼ばれたものをはじめ、規格に則った『既製品の目玉』を顔にはめ込んでいた。いきおい丸い目玉を持った顔が多いわけで、そんなクルマばかりのイベントだから、会場のあちらこちらで女性や子供たちが目を輝かせ「これ可愛い!」と声を上げることになる。
これらが生産/販売されていた当時は、今ほどには空力も重視されておらず、コンピュータの介在するエリアも少なく、設計者やデザイナーの個性がもっとも重視されていたと言えよう。しかし今は多くの制約条件が足かせとなってはいまいか。もちろんモノを作るにあたって制約条件がつきものであることは、クリエーターの一人として僕も充分に理解している。しかし理詰めでモノ作りをしてゆくと、そこからは徐々に個性が失われ、味気のないカタチしか生まれてこなくなってしまうのではないか、そんなふうに思えてならない。
輸入車を好む日本人がよく口にする選択の理由に『個性』を挙げている。今や技術的、品質的には世界のトップと言って差し支えない日本のクルマたちだが、個性の部分でも世界をリードする存在であって欲しいと思う。