1986年暮れ、僕は富士スピードウェイ(FISCO)にいた。
当時僕は某国産タイヤメーカーのパートタイマー・スタッフとしてこのサーキットを中心に四輪レースのタイヤ・サービスをしていた。タイヤ・サービスの仕事を簡単に説明するなら『契約チーム、または顧客チームから預かったホイールにタイヤを脱着、適正値より少し多めのエアを入れ、バランス取りを済ませてチームのピットまで届けること』である。天候や路面状態、マシンのセッティング等を考慮しながらチームとドライバー、タイヤ開発スタッフが協議してコンパウンドの異なる数種類のタイヤやレイン・タイヤからチョイスしたセットをホイールに組み込んでゆく。当然予選やレースの最中に目まぐるしく天候が変わる様なことがあれば我々の仕事も増え、ガレージ内は修羅場と化す。それに比べるとウイーク・デイに行われる走行テストはいくぶん余裕があり、走行やピット見物が許されることも。
この日も平日の走行テストということで招集を受け、友人Nとともに早朝にFISCO入りした。トップチームのマシンが走行するテストは複数の自動車メーカーやチームが合同で行うのが常で、たくさんのドライバー、スタッフ、関係者でパドックやピットは結構賑やかなものなのだが、この日は様子が違った。『HONDA RACING』のロゴだけが入った大きなトランスポーターが一台、そしてピットは報道関係者立ち入り厳禁の看板。僕たちの仕事場であるガレージにも見慣れないホイール、そして日本のレースではめったに見ることのない『GOOD YEAR』のレーシング・スリックが持ち込まれた。いぶかる僕たちにタイヤ・メーカーの社員スタッフが耳打ちした。「今日はF1のエンジン・テストだ。GOOD YEARからの業務委託を受けてタイヤ・サービスを我々が担当する。ホイールに傷つけるなよ!」と。
初めて触れたF1マシン用のスリックは、当時僕たちが接していた国産のF2(後のF3000、現フォーミュラニッポン)や耐久(グループAツーリングカー/グループCスポーツプロトタイプ)用タイヤとは異なり、サイドウォールもトレッドもやけにソフトだったことに驚いた。(ちなみに当時はまだ日本製F1タイヤは存在していない)
報道関係者には厳しいチェックを行っているが、我々タイヤ・サービスはこの日もフリーパスで難なくピットに入ることが出来る。仮設のつい立ての向こうを覗くと何とこの年ワールド・チャンピオン争いを繰り広げ惜しくもシリーズ2位となった赤いゼッケン5、ナイジェル・マンセルのウイリアムズ・ホンダのFW11が佇んでいた。ドライバーを探すとそこにはブルーのレーシング・スーツに身を包んだ星野一義の姿が。星野はこの年、僕の所属するメーカーのタイヤを履いたマーチ86Jホンダで鈴鹿F2のチャンピオンに輝き、全日本選手権でも2位に食い込む活躍を見せ、ノリにノっていた。今まさに、その『日本一速い男』が現役F1マシンのエンジン・テストのドライバーを務めるのだ。
あらかじめ「走るのは一台、天候も安定してるから、朝一番で用意した3セット12本のタイヤで充分だ」と言われていたから、僕らタイヤ・サービス要員はテストが終わるまで自由の身である。僕と友人Nはこのエンジン・テストの一部始終を見守る幸運に恵まれたのだ。
エンジンに火が入る。聞いたことのない大音量の甲高いサウンド。ほどなくピットアウトしたマシンが右回りの第一コーナーの向こうに消えて行く。通常ならばほとんど聞こえないハズの各コーナーでのシフトダウン・アップの様子が全て鮮明にピットまで聞こえて来る。たかだか1,500ccなれどツインターボが装着され1,000馬力を超えるエンジンは、国内のレースには存在しないモンスター。サウンドからもその凄さが伝わって来た。
最終コーナーを全開で立ち上がってくるのも視覚よりも先に聴覚でわかった。目の前を見たことのない速度で駆け抜けるFW11。全身に鳥肌がたった。
翌1987年から鈴鹿で開催されることになったF1日本グランプリにも何度か足を運び、セナ、プロスト、マンセルの対決、中島悟の勇士、そして鈴木亜久里の表彰台にも立ち会うことが出来た。僕自身はその後NASCARやINDYなどといったアメリカのレースに傾倒していったこともあって、F1はテレビ観戦する程度になり、昨年、今年のFISCOでの日本グランプリにも足を運んではいない。しかしF1は僕にとって今も特別で崇高な存在であることに変わりはない。
イラストはこのウイリアムズ・ホンダのエンジン・テストの模様である。「車輛の前からならOKだよ」と顔見知りの関係者から許可をもらって撮った写真をもとに描きおろしたもの。これを描いていたら、20年以上前の興奮が再び蘇ってきた。
先日、ホンダがF1グランプリから撤退するとの発表がなされた。スバルやスズキがWRCから撤退するという報道も含め、モータースポーツ好き、クルマ好きならずとも、自動車メーカーの危機的状況が深刻であることを痛感せざるを得ない、とても残念な出来事である。
ホンダが、そしてすべての自動車メーカーが危機的状況を脱し、モータースポーツに限らず、あらゆるシーンで我々クルマ好きに喜びと感動を与え続けてくれることを切に祈る。
ごあいさつ
今年もこのGAOs Galleryを毎週ご覧頂きありがとうございました。来年も皆さんに喜んで頂けるようないい絵をたくさん描いていきたいと思います。来る2009年も皆様にとって実りある一年でありますように。(2008年12月29日 GAO NISHIKAWA)