1970年代初頭から2001年までの日産スカイラインが再び注目を浴びています。
特に1971年式日産スカイライン2000GT-R「ハコスカ」と1973年式日産スカイライン2000GT-R「ケンメリ」です。
2000GT-R特有のスタイルを体現し、これまでに生産された日産の最高のヴィンテージ車を彷彿とさせます。 1969年最初にリリースされたバージョンは、GT-Rと呼ばれるタイプで、 もともとは日産のレーシングカーであるR-380というマシンに搭載されていた2000ccのエンジンを、公道で走れるようにデチューンして搭載していました。R-380に使われていたエンジンはGR8型と呼ばれるタイプで、 最高出力は245馬力を発生させていましたが、デチューンされてGT-Rに搭載されたS20型の最高出力は160馬力となっています。また、後にフェアレディ Z432 に登場した有名な日産 S20 パワープラントも付属していました。
基本的なスカイライン シリーズは、1955 年にプリンス自動車会社で始まりましたが、1966 年の両社の合併後に日産に移りました。この象徴的な第 3 世代バージョンは、C10 スカイライン 2000GT-R と呼ばれ、合併後に日産によって販売されました。
スカイライン 2000GT-R は、最初は 5 速マニュアル セダンとして登場しましたが、すぐにクーペ形式に姿を変えました。日産は、そのバージョンの不要な機器を取り除いて、超軽量で機敏になるようにしました。それが功を奏し当時、市販車をベースにしたクルマで順位を競い合う「ツーリングカーレース」で、1969 年から1972 年にかけて 50 回以上優勝し、熱狂的な車への執着をあおりました。
大規模なレースでの勝利と立ち振る舞いに対する評判は、国内問わず国外にも人気が出ました。GT-Rがレースで連勝することでスカイラインの知名度はどんどん上がり、若者から爆発的な支持を得ることになったのです。ハコスカは全部で31万447台生産されましたが、 その中でGT-Rはたった1945台しか生産されませんでした。1970年当時、スカイラインGT-Rの価格は150万円でしたが、その当時の収入に比べると、一般庶民にとっては高嶺の花だったことは間違いありません。
その後、1972年9月にハコスカはフルモデルチェンジされて、スカイラインは4代目となりました。この4代目となるC110型のスカイラインが、いわゆる「ケンメリ」です。若いアメリカンスタイルのカップルがスカイラインに乗って全国を旅するというシリーズもののテレビCMが流れ、この二人の男女の名前「ケンとメリー」をとって、この愛称がつけられました。 角ばった「ハコ」のようなスタイルの「ハコスカ」に比べ、「ケンメリ」は全体的に丸みを帯びた形をしているのが特徴です。この4代目スカイラインにも、1973年にGT-Rがラインナップに追加されました。
エンジンは、ハコスカGT-Rに搭載されていたS20型がそのまま継承されていていましたが、当時、排ガス規制が厳しく、その影響により67万562台も生産されたケンメリスカイラインのうちケンメリGT-Rは197台で生産が打ち切られてしまいました。そのため、ケンメリGT-Rは幻のクルマといわれています。
発売されてからすでに50年ほど経過しています。現在どれだけの数の車両が残っているか分かりませんが、もし見かけることができたら、まさに幻の車を見たことになります。
1957年から現モデルに至るまで様々な進化をしてきました。特に70年代の国産旧車は価格が高騰し、価格は倍々に跳ね上がっています。ハコスカ、ケンメリなど、気軽に手が出せない存在にまでなってしまった上にGT-R仕様であればさらに値段は上がり、貴重な存在であることは間違いありません。 今後どんな展開を見せてくれるだろうか楽しみでならないです。